今宵の多摩の月は十三夜(本当かな?) 『竹取物語』のラストに富士山が出てくるとは、知らなかった(高校の頃に読んだ記憶はとっくに消え去っていた) 富士山がいつ大噴火してもおかしくない今日この頃、『竹取物語』が作られた頃(平安時代初期 九世紀末)の富士は噴煙をあげていたそうだ。 『かぐや姫と王権神話』(『竹取物語』・天皇・火山神話)<著者 保立直久 洋泉社発行>を斜め読みした。 「かぐや姫は火山の女神である」「当時、富士には天女がいると考えられていた」 「かぐや姫には『古事記』『日本書紀』のアマテラス神の登場により抹殺された”火山神”たちの原始神話の世界が隠されていた」 「『竹取物語』のかぐや姫伝説は、・・・火山神が社会意識、対外意識の表層から消え去って最後の段階で登場したのである。」 「九世紀の半ばに、平安京の都市世界において、中略、ここに都市の清浄を護り、とくにその中枢に存在する王権の空間から「穢」を排除する祭祓組織として、<浄穢>の秩序意識の中枢として、神道と神社の位置が確定したのである」 「日本の民族宗教としての「神道」が「忌み」の思想を原点として生まれてくる風景を見ることが出来る」 かぐや姫が「神道」と「忌み」につながった んんん 「忌み」ってなに? ウィキペデキアの「忌み」はこうだ 神道においては基本的に「火」は穢れであり、「忌み」とは生活圏に悪影響を及ぼす穢れを嫌い排除する事である。 台風や大雨、日照り、地震等自然災害も不浄、穢れとされ、地鎮祭など祓えの儀式で清められ治まるとされた。 これで「神道」と「忌み」がつながった こういうことか 日本人にとって富士の大噴火は、とてつもない穢れだったんだ。 かぐや姫は、人々に襲い掛かる穢れを振り払う存在だったんだ。 『かぐや姫と王権神話』の著者は最後にこう記している 『竹取物語』のかぐや姫は「日本の神話の中心が火山神話であったことの美しい記念であり」と。 読書の秋です 今宵の月 多摩川にかかる府中四谷橋越しに上って来た13夜 こちらは中空にかかる今宵の月
by marifami
| 2013-11-16 19:24
| 読書
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