もうすぐ東日本大震災から1年になろうとしている。 3.11前の在りし日の大川小学校 3.11後の大川小学校(撮影日は4月6日) (いずれもGoogl Earthから転用) こちらは↓は去年3月、自分のHPで大川小学校の惨劇をとり上げたもの 3.11 大川小学校 以下に、今日大川小学校をとり上げた毎日新聞の記事全文を掲げる。 毎日新聞 2012年3月5日 1時23分 ************************************************** 『東日本大震災:着るはずだった制服 大川小の一周忌法要』 震災で児童・教職員79人が死亡し、5人が行方不明になった宮城県石巻市立大川小学校の一周忌法要が4日、市河北総合センターで開かれた。カーネーションなどの花々でハートや校章の形に飾られた祭壇には、市内の仮設住宅に住む会社員、今野浩行さん(50)と妻ひとみさん(41)の長男で6年だった大輔君(当時12歳)の遺影もあった。着るはずだった大川中の制服姿を合成した。ひとみさんは、その笑顔に語りかけることができず、ただ泣くしかなかった。ろうそくの火が命のともしびに見えた。 ひとみさんにとってこの1年は「どうやって子供が死んだのかを考えている」日々だった。学校側の説明会や遺族同士の集まりにも足を運んだ。「事実を知るのは怖いけど、知ることが供養になる」と考えるからだ。 巨大地震後、大川小に車を走らせたひとみさん。渋滞で立ち往生したまま夜を明かした。勤務先から向かった浩行さんはラジオで大川小が孤立していると聞き、「大輔は(校舎の上のほうにいて)助かっている」と思い込んだ。 翌朝、ひとみさんは一命を取り留めた男子児童に出会った。そこで、大輔君が校舎の裏山に逃げる途中で転んでしまったことを知った。「首根っこをつかんで立たせようとしたけど立ち上がれなかった」と聞いた。 数日後、大輔君は裏山付近で発見された。「(津波から逃れられるまで)あともう一歩。もう少しだったんじゃないかな」とひとみさんは悔やむ。 今野家では父浩さん(同77歳)、母かつ子さん(同70歳)、長女麻里さん(同18歳)、次女理加さん(同16歳)も行方不明になり、相次いで遺体で見つかった。仮設住宅には、5人の写真が並ぶ。 今年2月末のある夜。浩行さんが遅くに帰宅すると、2人暮らしには多すぎる料理が食卓に並べられた。「たくさん作ったな」。そう話す浩行さんだが、会話は続かなかった。 あれから1年。「やっぱり子供たちのことだっちゃ。あきらめきれないよな。一人前にするために遅くまで仕事してきた。今、何のために生きてるかわからない」 「死んだ人の供養は残された人の務め」というひとみさんに、浩行さんは「残されたんじゃない。たまたま生き残ったんだ」。2人は割り切れない思いをぶつけ合うこともあった。「子供を守れなかった。親でねえべっちゃ」。自責の念を募らせる。 だが、大輔君ら5人に思いをはせながら、浩行さんはぽつりと言葉を絞り出した。「たいした家族じゃなかったけど、俺にとっては最高だった」 ◇ この日は、遺族ら約500人が参列。祭壇に献花し、亡くなった児童らの冥福を祈った。非公開だったが、同校などによると、遺族会の武山剛会長が「遺族の苦しくつらい思いは少しも癒えることなく、耐える日々が続いております。互いに寄り添い助け合い、生かされた命を大切に、泣きながらも苦しみながらも懸命に生きていこうではありませんか」と述べたという。 ****************************************************** 本文はこちら↓ 東日本大震災:着るはずだった制服 大川小の一周忌法要(毎日新聞 2012年3月5日 1時23分) ↓は津波に襲われた後の大川小学校の姿 <撮影は去年3月31日時点> (大川小学校を扱ったととある記事から無断借用) 3月1日現在の東日本大震災の被害者数 ・死者 15、854人 ・行方不明者 3、276人 死者行方不明者合計 19130人 以上警察庁 3月1日現在 ・避難転居者 343、935人 2月23日現在 復興庁まとめ
by marifami
| 2012-03-05 13:27
| 東北大震災&原発災害
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