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今日21日朝は日本各地で金環日食。 ここ東京では朝6時19分から太陽が月に隠れ始め、7時32分から37分までは太陽がリング状に見える金環日食。 首都圏での金環日食は173年振りとのこと。 ん十年前、小学生の時、学校の校庭で下敷きにろうそくのすすをつけて日食を見たのを記憶している。 あれは金環日食ではなく、月が太陽を完全に隠す皆既日食だったんだろうな。それとその時はもっと暗くなったような気がした。今回の金環日食は太陽は月からはみ出ているためか、随分と明るかった。それでも太陽が完全に月の後ろになった時は、そうですね、夕方並みの明るさだった。 金環日食:太陽がリング状に見える日食 皆既日食:月が太陽を完全に隠す日食 さてさてです。 知人のお二人から、送ってもらった金環日食の画像。 高尾山からの金環日食(Kさん) ![]() ![]() 地元浅川べりからの金環日食(Hさん) ![]()
今年も自宅そばを流れる程久保川でカルガモ親子発見。 程久保川には1年を通して、カルガモが住みついている。 この川は多摩動物園あたりを源とし、京王線百草駅付近で浅川に注ぐ全長数キロ程度の両岸をコンクリートに覆われた典型的な都市中小河川。 去年もちょうど今頃、程久保川でカルガモ親子を発見したが、今年もいました。 今日午前中は年に数回ある地域住民による「程久保川クリーンディ」。小さな川なれど、夏は両岸は草に覆われて、見た目は目立たないが、まぁ空き缶、ペットボトル、発砲スチロールの切れ端、ビニール袋(特にビニール袋が多いのだ)と結構とある。ゴミ拾いは1時間ほどで終わり。 拾い集めたゴミを入れた袋を所定の場所において、流れ解散。 帰路に就く途中で見かけた程久保川のカルガモ親子。 何人かの人が立ち止まって、岸辺のフェンス越しにこのカルガモ親子を眺めていたが、単にほほえましい光景として眺めていたわけじゃない。 ![]() 画面に映ってカルガモ親子は、大きな段差のある堰の下(画面左側)にヒナが7羽、堰の上(画面右側)に親と2羽のヒナ。どうやらこの堰で親子が分断された様子。親は堰の下で泳いでいる7羽を頻りに気にしている様子だ。 このカルガモ親子は堰の上から下に移動中なのか、はたまた7羽のヒナがアクシデントで堰の下に落ちてしまったのか。 親は堰の上を行ったり来たりしている。堰の上で泳いでいる2羽のヒナが堰を飛び降りる気配はないし、堰の下にいる7羽のヒナが堰の上に移動することは堰の高さからいって無理がある。さてさて、どうするんだろう。ということで何人かの人が些か心配げな様子でカルガモ親子の様子を眺めていたのだ。 ノラネコやカラスやヘビがうろつくこの程久保川に結構な数のカルガモが住みついている。 カルガモの親が堰を飛び降りたのを見てから、この場所を離れた。 2羽のヒナもそのうち堰を飛び降りるでしょう。
江戸日本橋に店を構える呉服商「浜田屋」は主人藤兵衛が一代で築き上げた、年間売上五万両は届こうかという江戸有数の豪商だ。 この藤兵衛の唯一と言っていい趣味道楽が「珍奇な樹木を愛好すること」だ。趣味が高じて『非常草木のお化けに魅せられて旅へ心誘われていく』(第五章 掬の力)。こうして藤兵衛は後妻たき、お供の手代左七と下男下女を連れて、この世の不思議を持つ草木を訪ね歩く旅に出る。 村田喜代子 『お化けだぞう』(潮出版社)を再読する。 『お化けだぞう』を再読する経緯については、このブログの「気になる本」2012年4月19日を参照。 昔も今も、この世には(あの世にも?)尋常ならざる<お化け・摩訶不思議な世界>は至る所にありそうだ。テレビでは<お化け・摩訶不思議>の類の番組は常に一定程度の視聴率を稼ぎだしている。 江戸の豪商「浜田屋」主人の藤兵衛は草木の<お化け・摩訶不思議>大好き人間ってわけだ。 「左七の故郷伊勢山中には倒れているが、立ちあがり、歩きだす松がある」(第一章)、 「日光山中には人毛が生える樹木がある」(第二章)、 「陸奥には「草毬」と呼ばれる地をさまよい歩く草がある」(第三章)、 「伊豆天木山中にある1本の杉の大木が叫びわめく」(第四章)、 「浜田屋の庭に咲く引き抜けない10年目の掬」(第五章)、 「魚津の海には樹木の林がある」(第六章)、 「作物が大きくなる豊穣の村。だが、欲に目がくらんだ村人たちは豊穣の土地を荒廃させてしまった」(第七章) 「藤兵衛と左七の目の前で男女の馬子二人が楠の中に入ってしまった。その後村人たちは黒毛と栗毛の二頭の馬を探し求めた。」(第八章)、 「信濃の国では凶作の年に限り、昔から穀雨が降る。 一行は信州沓掛村に出かける。 タキが見たのは野良仕事をしている貧しい地元の女衆が刈った蕎麦を風に乗せて空に送ろうとしている光景だった。わけを聞くと「天の米蔵へ送る」とのことで、こちらが食べるものがないときには返してもらうとのこと。タキは理解した。 「五穀は巡るのか。風に乗って貧しい村々を、天を伝い巡って行くのだろう。どこかで空へ放つ手と、どこかで空から受けとる手がある」(第九章)、 「藤兵衛の草木を愛でる趣味の師、羊斉が死ぬ。通夜に旅姿の百姓たち7.8人がやってくる。遠方から来たらしく百姓たちのお国言葉はてんでバラバラだ。藤兵衛や左七は草木の味方である羊斉の死に際して、彼らは「草木の一類」ではないかと疑う。葬式には3人の僧侶がつく。読経をあげる一番若い坊さんは何故か泣きじゃくる。葬儀の翌日、大変なことが判明した。読経をあげた3人の僧侶は誰もしらない坊さんで、3人に渡したはずの御経料のはいった包みがそのまま残されていて、包みからは青い杉の一房と、小さな葵の葉が一枚が出てきた。 泣き虫坊主の葵が、二本の杉の木に連れられて葬儀にやってきたのだ。」(第十章)、 そしてラストは 「異国の珍しい植物図を見るため、長崎に出向く藤兵衛一行。なんの手違いか、長崎出島でタキは出国する異国の船に乗ってしまう。 いや、手違いなんかじゃないのかもしれない。 没落旗本の娘で天涯孤独の身のタキは「わたくし一人でまいりますわよ」と藤兵衛の心の中で言う」(第十一章) 目次 第一章 立ち上がる木 第二章 生え出ずる黒髪 第三章 さすらう草 第四章 叫喚する杉 第五章 菊の力 第六章 竜宮樹林 第七章 おおいなる豊竹の村 第八章 馬の樹 第九章 天くだる五穀 第十章 弔いの木 第十一章 海を渡る欄 『お化けだぞう』は日本の湿気と空模様に包まれた、どこか穏やかな日本の森や山、田畑と街角。そしてそこに暮らす人々の遠く懐かしい匂いを醸し出す本だ。
今日5月15日は沖縄の本土復帰40周年とのこと。 終戦後、沖縄はアメリカ統治下にあり、1972年(昭和47年)5月15日に日本に復帰した。 太平洋戦争では沖縄が戦場となり、「ひめゆり」に代表されるように沖縄に住む一般人が戦場の犠牲者になり、沖縄は米軍に占領されたという史実とは別に戦後の沖縄を初めて意識したのは40年前以上の大学時代のことだ。 1968年(昭和43年)に大学に入り、1,2年生の時は大学の寮にいた。 寮にはいって、ほどなく沖縄出身の寮生と知り合いになった。 特に親しくなったという記憶はないが、なにげに聞いた彼の話から当時の沖縄を知ることになった。 彼から聞かされて、今でも憶えていることは 『本土への行き来にパスポートが必要』 『お金は円でなくドル』 『え!沖縄から日本に来るのにパスポートが必要!?なに沖縄は外国なのかよ!』 『なに 沖縄は円じゃないのかよ? 本当かよ!』 彼からパスポートを見せてもらった記憶が残っている。 大学入学は昭和43年で昭和47年の沖縄・本土復帰の4年前だ。昭和43年には沖縄はアメリカ統治下だったのだ。 沖縄が昭和47年に本土復帰まするまでは外国に行くのにパスポートが必要のように沖縄へ行くのにもパスポートが必要だったのだ。40年前までは、これが当たり前だったのだ。 沖縄でのパスポートの件についての詳細は↓参照 YAHOO!JAPAN 知恵袋「昔、沖縄にいくにはパスポートが必要だったって本当ですか?」 アメリカ統治下の沖縄では車両は右側通行で、左側通行になったのは復帰後、6年たった1978年(昭和53年)7月30日だ。これはテレビニュースでの記憶がある。 戦後からもう半世紀以上たち、「日本とアメリカが戦争した」ことを知らない大人がいる中で、沖縄は相変わらず戦後を引きずっている。普天間基地問題に代表されるように、日本における米軍基地面積の75%を沖縄が占め、沖縄本島面積の実に19%を米軍基地が占めている。詳しくは↓参照 沖縄県<米軍提供施設・区域の概要> 在日米軍基地を見たことがある? ここ東京都下・日野は在日米軍基地の一つである横田基地(飛行場)を北に控えている。年に何回か埼玉に向かう時、国道16号沿いに続く横田空軍基地をフェンス越しに横目で見ながらクルマを運転することがある。周りのちまちました建物と比べて、フェンス越しには広大な敷地と滑走路がよく見える。運がよけりゃ(?)、どでかい米軍の飛行機(輸送機)をまじかに見ることができる。ところでだ、これまた年に数回程度だが、横田基地を発着陸する飛行機が通常の飛行コースを外れ、日野の上空を低空で、とんでもない騒音をとどろかせて飛んでいくことがあるのだ。 その騒音たるや、すさまじい。 こんな音が毎日のように聞こえたら、そりゃたまらない。 それとご存じ、神奈川県は横須賀の米海軍(軍港)基地と厚木基地(海軍飛行場)。まぁ、昔はいざしらず、厚木基地周辺は住宅地がびっしりだ。 もう一つ、日野のすぐ南に位置する神奈川県は相模原市。ここにも三つの米軍基地がある。鮮明な記憶があるのは、そのひとつの在日米陸軍の相模総合補給廠(補給センター)だ。かってその横をクルマで通ったとき、延々と続くフェンスの記憶が生々しい。今でも八王子・川崎を結ぶJR横浜線に乗ると、広大な面積を占める基地の一端がよくわかる。
昨日12日のブログで紹介した「ひの新選組まつり」は昨日に引き続き、日曜日の今日は昨日以上の人出で賑わうところが、突然中止になった。 (「ひの新選組まつり」の様子については、昨日のブログを見てください) 「ひの新選組まつり」は市役所隣の公園と市民会館(煉瓦ホール)で催されていたが、今日午前に「日野市民会館爆破」電話がはいったため、今日の催しは急遽中止になったとのこと。 ネットの朝日新聞記事(2012年5月13日20時30分)によると、こういうことだ。 短いので記事全文を掲載する ****************************************************** 『日野市民会館に爆破予告 「新撰組まつり」中止 13日午前10時すぎ、東京都日野市の日野市民会館「ひの煉瓦(れんが)ホール」に男の声で「午後3時までに市民会館を2回爆破する」と電話があった。ホールや周辺では12日から「ひの新選組まつり」が開かれ、この日は約1万3千人が来場していたが、市は正午以降のイベントを中止した。警視庁日野署が威力業務妨害容疑で調べている。 市や署などによると、10時25分と同34分にそれぞれ、50~60代とみられる男の声で電話があった。来場者を避難させ、署員が館内などを調べたが、不審な物は見つからなかった』 ****************************************************** 実は今回の変事はこの記事より前に、知人からメールにて連絡がはいった。 「今日、知り合いが市民会館に入ろうとしたら、日野市民会館が警察によって閉鎖されている。爆弾予告電話があったらしい」とのメールだった。 このため全国から集まった”新選組”の皆さんはじめ大勢の市民が楽しむイベントを台無しにしてしまった。このての「爆弾騒ぎ」をおこす人物は絶対検挙してもらいたい。 ちなみに騒ぎのあった日野市民会館入り口ロビー脇にあるガラスケースには写真が展示されている。連絡をいただいた知人と写真の大先輩の方の写真、それに便乗させていただいている小生の写真が展示されている。 実を言うと、昨日はこの騒ぎのあった日野市民会館ロビーで写真掲示の打ち合わせを3人でしていたのだ。 この画像も昨日撮影したもの。 ![]()
今日はこの5月に入って、久しぶりのいい天気 午後、とある用事で日野市役所近辺に立ち寄ったら、市役所前の日野中央公園で”お祭り”をやっていた。 お祭りは「第15回 ひの新選組まつり」 市役所脇の広場と公園内にはあちこちに屋台も出て、家族連れを中心に結構な人だかり。(それにしても屋台は市民参加型と思しき実に”行儀がよさそうな屋台”ばかりだった 余談) 日野市の「新選組まつり」は今年で15回目との事だが、この中央公園での新選組まつりイベントを見たのは初めてなり。 明日は新選組隊員のよる堂々の市内パレードなり。 ハレの新選組隊士は市内だけでなく、全国から集まってくるそうな。 ![]() ![]() ここ日野は新選組の「ふるさと」。 新選組隊長の近藤勇は別にして、今や名実ともに近藤勇をも凌駕しそうなくらいに人気がある新選組副長土方歳三のご当地が武蔵はここ日野なのだ。 『新選組副長・土方歳三が生まれた地は武蔵多摩郡日野郷石田村。六番隊隊長・井上源三郎は日野宿北原、近藤勇、沖田総司らが剣術の腕を磨き、新選組に大きく関係することとなった天然理心流佐藤道場は日野宿問屋(日野本郷名主)・佐藤彦五郎が自宅に開いた道場でした。 いずれの場所も現在は東京都日野市に属しています。』 新選組のふるさと日野よりピックアップ。 我が家の傍を流れる浅川周辺には、いまでも土方姓の表札のかかった家があちこちにある。 その大抵は大きな門構えをもち、広い庭と大きな家屋敷が外からもうかがえる。 ここ日野では土方と言えばかっては大きな田地を所有する郷農が多く、地元では今でも「土方」は名士なのだ。 さてである。 中央公園に入ると、公園内の野外ステージを取り囲んで結構な人だかりがあり、舞台では新撰組隊士の立回りと自己紹介をやっていた。 こちらは今年、選出された新撰組隊長近藤勇の挨拶 大阪からやって来た女性とのこと。拍手。 壇上ではかわいい声で「俺は!」を連発していた。(失礼) ![]() 舞台では、ここ日野では最大のヒーロー、洋装のご存じ土方歳三を舞台中央にしてお祭りの盛り上がりもピーク。 ![]() ![]()
この時期、ツバメを見たことある? ここ日野は京王線百草園駅そばに移り住んではや30年程になるが、駅前商店街を飛び交うツバメは年々少なくなってきた。 ツバメは街中を含めて何処にでもいるようでいて、実際は見かけることが少なくなってきた野鳥の代表格だ。 ここ百草近辺では、それでも数は少なくなったとはいえ、商店街の通りに面した建物の入り口あたりに巣を構え、餌を運ぶツバメを見かけることはある。 北に浅川、多摩川が流れ、南に多摩の丘陵が連なり、僅かばかりとはいえ都内では貴重な田んぼがあるここ百草近辺はまだツバメが子育てできる環境が残されている。 ツバメをいつまで見かけることが出来るんだろうか。 これは百草園駅の改札口が道路から階段を下りた地下にあった頃、地下の改札口前のモニターカメラ上に出来たツバメの巣。 ツバメの親鳥が餌をくわえて巣に戻ると、ヒナが一斉に鳴き出す。 その姿をチラと見上げて毎朝、改札口を通ったものだ。 2007年6月後半のこと。 現在の百草園駅は地上化され、地下改札口はなくなり残念ながらツバメの巣もなくなってしまった。 ![]() ![]() こちらは京王線百草園駅の隣駅である聖蹟桜ヶ丘付近の多摩川河原を飛び交うツバメ。 撮影時期は2008年9月後半。 多摩川のこの場所は秋、ツバメが南に戻るときの集合場所になっているところだ。 関東各地?から集まってきたツバメがここで羽を休め、集団化し、三々五々南に帰って行く。 ![]() さてである。 日本野鳥の会では「消えいくツバメをまもろう」の一環としてツバメの情報を集めるキャンペーンを実施している。 是非、自分の住んでいる街のツバメ情報を発信しよう。 詳しくはこちら↓ ツバメの現況を知るため、広く情報を集めて調査します 日本野鳥の会 さて、こちらはこの5月、浅川川面を飛ぶツバメの仲間のイワツバメ。 この時期、浅川にはたくさんのイワツバメが浅川の土手下、川面を飛び交っている。 イワツバメはツバメと違って、日本で越冬している。 ![]()
今日午後、浅川土手を往復30数キロのサイクリング。 自宅から浅川土手(右岸)沿いに上流方向に進み、浅川辺りにある八王子市役所脇から南浅川土手に入り高尾駅近辺でUターンして、行きと同じコースを戻る。片道約1時間半程のコース。 これまで何度も通ったことのあるこなれたコース。 今日6日は、前日の天気予報では「曇り」だったが、午前中から西の空には雨雲は厚く立ち込め、いかにも一雨降りそうな様子だったが、予定通り昼食後出発。 行きの途中から遠くには音なしの稲妻が走りだした。そのうち予想通り雨が降ってきた。但しいかにもにわか雨だったので、ちょいと道を外れてコンビニで雨宿り。このため往路は1時間半の予定が2時間。これは一応想定内。 さて、帰りは雲も薄くなり、内心「こりゃよし」と思って出発したとたんにポツリポツリときた。八王子市役所前あたりを過ぎた頃からポツリポツリじゃ済まない雨模様になってきた。雨具を持参していなかったので、橋げたの下でしばし雨がやむのを待つ。 濡れても差し支えのないような雨脚になったのを見はらかって、再スタート。ところがほんの暫く行くうちにザザッと来ました。あっという間に全身濡れネズミ。もうこうなりゃ、濡れたまま雨宿りするより、早く家にたどり着いたほうが「よし!」と思い、あとは雨中サイクリング。 そのうち、やっぱりにわか雨だったのか家に近づいてきたら、雨は上がり雨雲は流れ去り、太陽が顔を出してきた。 西に太陽、東にアーチ型の絵にかいたような虹が現れた。 服が濡れているので早く家に帰りたかったが、チャリンコを土手に停めて、とりあえずパチリ。 ![]() この目で確認。 虹の外側は「赤」、画像でははっきりしないが内側は「紫」。 外が「赤」、内が「青」ないし「紫」なのだ。 それと色。 外側から順に「赤」「橙」「黄」「青」「紫」。まぁざっと5色。 ところで虹の色は7色と言われているけど、7色を実際見たことある? 虹 rainbowによれば、虹の色は国や文化によって違っていて、かならずしも7色が万国共通でないとのこと。 ちなみに日本では赤、橙、黄、緑、青、藍、菫(紫)の7色。ふむ、確かに今回は確認できなかったが緑も見たことがあるような気がする。
この5月に入って東日本は雨が続く。 東北、北海道では梅雨や台風シーズンでもないの地域によっては記録的な大雨となり、場所によっては家屋浸水被害も発生した。 ここ多摩・日野では1日の午後に雷雨を伴う雨があり、それ以降2,3日と断続的に雨が続いた。今日も予報では「曇り・夕方に雨」だったが、昼近くからいかにも雨が降りそうな雲行きになり、昼過ぎには雨となった。 今年は雨に濡れたGWとなりそうだ。 こちらの画像は今日4日午前中、浅川最下流にかかる「新井橋」から眺めた浅川。 昨日の午後の様子と比較すると水量は少なくなってはいるが、それでも川幅は随分と拡がっている。 ![]() 今日昼は自宅そばの浅川河原でバーベキュー。 (正確に言うと私自身は家族に連れられてお相伴にあずかった状態) 浅川河原でのバーベキューは本来は昨日3日実施の予定だったが、今日に順延。 こういう雨模様の時のバーベキューは橋げたの下でやるのだ。 ![]() ワンコもお相伴にあずかる。 ![]()
今日は朝から終日、雨が続く。雨脚は”並みの強”といったところか。 夕方5時過ぎに自宅を出て新宿へ向かう。 午後6時10分頃の新宿は東口、紀伊国屋書店あたりの光景。 ![]() 今日2日、強紀伊国屋ホールにて開催された「紀伊国屋寄席」に行ってきた。 開演午後6時半。この雨の中、約400席のホールはほぼ満席状態。 プログラムは ・巌流島 柳亭 小痴楽 ・四段目 林家 三平 ・長短 三遊亭 金馬 ・佐野山 桂 平治 トリを飾るのは ・一文笛 三遊亭 圓楽 夏近し 明日は浅川べりでバーベキューの予定だったが、この雨じゃ中止ですな。
昨日に続いて今日も夏模様。 半そでTシャツ。 今日は我が家の家庭菜園で夏野菜を植える。 午前中に終わるはずが、なんだかんだと昼食を挟んで午後3時過ぎまでかかってしまった。 トウモロコシとサニーレタスの種まきは前日終了。 今日は夏野菜のメインである、トマト、ナスの類の苗を植えた。 ここの畝はトマト、ナス、ピーマン用。画面右には今日、園芸店で買ってきたトマト、ナス、ピーマン苗。 今日の園芸店は野菜の苗を買い求める人で込んでいました。 ここには約1ヶ月前に石灰を撒き、2週間前にはたい肥・牛フン、鶏フンを入れてある。 この畝の奥は3月下旬に植えたジャガイモの新緑が見える。 ![]() トマトは(大玉)8苗、(中玉)2苗の10苗、ナスはちと高いが病気に強い接木10苗、ピーマンは例年より少なく6苗。 左列にナス、右列手前がピーマン、その奥がトマト。 去年の暮れに近所の畑知り合いから頂いた藁をこの時のためにたっぷり敷く。 今日は真夏に近い暑さだが、夏野菜にはこの時期の陽気は要注意だ。夜になると地温も下がる。夏野菜にはちと低い地温がこれからは断続的に続く危険性があるため、基本的には畑地を覆うビニールシート(マルチ)が敷いたほうがいいが、藁は格好のマルチ代わりだ。 ![]() 今日はトマト、ナス、ピーマンの他に小玉スイカの苗2本、ゴーヤの苗2本も別の場所に植える。小玉スイカにもたっぷり藁を敷く。 ゴーヤは例年、貰ものの苗で育ているが、今年は買い求めた。 それと去年の収穫時に保存していたモロヘイヤの種50,60粒を蒔く。 これにて、夏野菜の植え付けも一通り終わり。 後は、この4月中旬に種まきして芽が出始めたキュウリの苗を、5月中旬頃に移植だ。 それと保存してあるオクラの種まきも5月中旬予定。
ここ多摩は日野、多摩動物園あたりから流れ出し、浅川に注ぐ全長2,3キロ程度の都市河川の程久保川。 この程久保川が浅川に合流する手前あたりの程久保川遊歩道のボタン桜、今がまさに満開。 我が家のワンコとの散歩コースでもある。 ![]() ![]() ![]() このボタン桜が散ると、五月だ。 ![]()
今日4月28日夕刻 麦の青。 穂を出す前の麦 我が家の家庭菜園そばにて ![]() ![]() この青は何色というの? ![]()
村田喜代子著『鍋の中』を読む。 過日、市の図書館のいくつもある書架の一つをゆっくり歩きながら眺めていたら、『お化けだぞ』を発見。 内心「お!」っと声をあげそうになった。 もう10年以上も前になるが、なにげに読んだ村田喜代子の『お化けだぞう』は鮮明な印象を残した本だった。 この世の不思議を鮮明に映し出す「樹のお化け」「草のお化け」が登場する本だ。 作者独特の妖しい色調と言うかムードと言うか、そんな不思議な世界が実に印象的だった。 読み終えた後は、もう一度読んでみたい本・トップスリーの一つになったものだ。 その後、この本の新鮮な読後感が静かに細く記憶の片隅で生きてはいたが、再読することもなく結局は10年以上も経過したわけだ。 そんな思いで深い本に再会したわけだ。 <『お化けだぞう』がある!> <作者は村田喜代子さんて言う人なんだ、ふむ> (忘れていた) 『お化けだぞう』以外の彼女の著作がいくつか並んでいたので、書棚から何冊か取り出し、それぞれパラパラと頁を捲ったり、巻末を読んだりしてみた。 『お化けだぞう』は必ず再読するとしてだ、著者の芥川賞受賞作『鍋の中』をまずは読んでみようということになった次第。 『鍋の中』文藝春秋 1991年7月20日第6刷 『鍋の中』以外に『水中の声』『熱愛』『盟友』各中編がおさまっている。 『鍋の中』は妖怪が出てくるわけじゃないけど、ムードとしては『お化けだぞう』に近い空気感を漂わせた内容だ。(というか、勝手な読後感ですな) 主人公たみこ(高校2年生?)、従姉弟のみなこ(高校2年)、縦男(高校1年)、それに中学生の弟の信次郎の4人が田舎の一人暮らしの80歳になるおばあちゃん家で過ごす1夏の体験。 麦わら帽子にスイカと蝉の声と夏の夕暮れ、そんな印象。そのムードにどこか通じるところがありそうなおばあちゃんの『ぎゃあてい ぎゃあてい ぎゃてぎゃて そわそわそわ ぎゃあてい ぎゃあてい そわ そわ そわ』という汗まみれのお経の声。 『鍋の中』以外に印象に残ったのは『熱愛』 オートバイでのツーリング。『高速を走り続けて二時間。・・・ 高速を出てさらに一時間、ほぼ予定の十時頃に日本海の午前の凪をみた。』 ところが、誘った相手がいなくなってしまった。 不思議な感覚につつまれたよ。 さてと、芥川受賞作は読んだ。次は『お化けだぞう』か。 ちなみにこのブログの左側に表示している<ライフログ>(愛読書?)には『お化けだぞう』を載せている。 それからもう一つ、『お化けだぞう』の10年以上前に書いたブログは↓ 00年1月9日 古木
「このカラーを2週間つけてください」 「散歩や寝るときはとってもいいんですか?」 「24時間つけっぱなしです。ワンコも大変ですが、飼い主も我慢してください」 とうことで、この春10歳になった我が家のワンコの柴は、今日から2週間先まで、このカラーをつけたまま過ごす羽目になった。 ![]() 我が家のこの柴はここ1ヶ月程前から左目炎症のため通院治療中の身である。 これまで日に目薬を2,3回はさしていたが、一向に目やにがとれず、時には左目が目やにで塞がってしまうこともある。 今日のペット医院の通院で獣医曰く、 「角膜の傷が小さくならず、逆に拡がっています。傷口がこれ以上拡がると手術が必要になります。傷があるため目やにが出て、痒くなるので、どうしても前足で目をかこうとします。そうすると角膜の傷がひろがっていきます。防ぐには可哀そうですが、この際はカラーをつけるしかないですよ。2週間我慢しましょう」 「あの~ 眼帯とかはないんでしょうか?」 「かえって眼帯で目を痛めます」 ということで目薬2種類と投薬剤、そして如雨露のようなカラーをつける羽目になった。 カラーをつけたままペット医院から歩いて我が家に戻り、ワンコの様子を我が家で眺めてみると、特にカラーを気にする素振りはなさそうなので、一応一安心。但し元気はない。いつものように座卓の下に潜り込もうとすると首の周りのカラーの端が座卓の足に引っ掛かり下に潜り込めない。イスの下に潜り込もうとすると、やっぱりカラーの端がイスの脚にぶつかり、すんなりと下に入り込めない。 まぁ慣れるまで暫くの辛抱だ。 今のところご飯を食べるにも、水を飲むにも、自分のベッドで休んだり、うたた寝するにも特にさし障りはなさそうだ。 うたた寝中。 ![]()
今日17日午後の八王子・日野では予報通りのにわか雨がやってきた。 にわか雨には雷とヒョウがおまけについていた。 今日午後、所用のため自宅のある日野からチャリンコで浅川沿いに上流にあたる八王子まで行ってきた。帰り八王子をチャリンコで出た頃、予報通りパラパラと雨が降り始めたが、ほんのお湿り程度なので構わず出発。八王子市役所脇の浅川土手あたりでは東の彼方から雷鳴が響きわたってきた。 雷鳴で少し気持ちが焦り出し、チャリンコのギアを1段重くしてスピードを加速。 <早く帰ろっと> 浅川に架かる中央線鉄橋をくぐって日野に入る頃にはパラパラ雨もなくなり、空には青空が広がり始めた。 「あれ?」 日野市域に入ったあたりで青草が生え始めた浅川土手脇に点々と白模様が続く。 チャリンコを留めて、その白模様に目を近づけて見た。 「エ! これはヒョウ!?」 ヒョウが実際に降ったところは見ていない。 八王子(浅川沿い)でも、この場所のさき自宅のある下流(浅川・多摩川合流付近)でもヒョウは見当たらなかった。 ヒョウが降ったのは比較的狭い範囲と思われる。 それにしても、ヒョウだ。 今年の遅咲きのサクラが概ね散ったこの時期にヒョウが降った。 あっという間に増水した浅川 ![]() 氷粒の直径が5ミリ以上がヒョウ、5ミリ未満はアラレと区別している。 ![]() ![]() ![]() 土手道には散ったサクラとヒョウ。 (京王線南平付近の浅川土手) ![]() 遠慮がちに動き出した今年の春がいよいよ加速してきた。 空にはツバメ ![]()
今日15日、日野市内は中央高速道脇のとある神社裏手の湿った場所に群生する二リンソウ。 (実を言うとイチリンソウと二リンソウが混じって群生しているかもしれない) 群生地ではイチリンソウでも葉の間から2本の柄を出していることも多々あるとのこと。 ![]() 春の里山雑木林に咲く野草 ![]() 二リンソウやイチリンソウは落葉広葉樹林が芽吹き葉をつける前の春先に花をつけ、花が終わり実を結ぶと地上の茎や葉は枯れてあとは地下で過ごす。 落葉広葉樹林の木々が芽吹き、葉を生い茂らせるまでの春のほんの短い期間だけ花を咲かせ、地上の茎や葉は消えてしまうイチリンソウや二リンソウはスプリングエフェメラル(Spring ephemeral)と呼ばれている。 「春の儚いもの」、「春の短い命」、「春の妖精」とも呼ばれるとのこと。 (上記はウィキペディアの『スプリング・エフェメラル』から引用) こちらは二リンソウの群落に交じって咲いていたウラシマソウ ![]() こちらは日野市内中央線日野駅そばの寺院裏手に群生するカタクリ (但し撮影は去年4月9日) カタクリもスプリング・エフェメラルの代表格の野草だ。 ![]()
今日13日北朝鮮が予告通りに打ち上げたロケットは発射後空中爆発し、この件に関して異例なことに北朝鮮自体も打ち上げ失敗を公式に認めたとのことだ。 失敗したが打ち上げたのは北朝鮮が主張する宇宙利用を目的としたロケットではなく、日本を始め各国が打ち上げを非難していた軍事用のミサイルだったかもしれない。 まぁ、どちらにしろだ。 前回の打ち上げでは北朝鮮東海岸から発射し、ロケットは日本列島上空を飛んで大気圏外に出る軌道だったが、今回のロケットは西から発射し、黄海、石垣島上空を通りフィリピン沖上空に至る軌道だった。 まぁ、それにしてもだ。 今回の北朝鮮ロケット発射のついての日本でのマスコミ報道の過熱ぶりには、前回のロケット打ち上げの時とまったく同じで、相変わらずと言えば相変わらずだが、まったくもってうんざりする。 テレビでも報道されていたが自衛隊は「ミサイル迎撃用のパトリオットミサイル」を沖縄だけでなく、万が一の備えとして東京にも配置したのだ。 素人目にも「?!???」としか言いようがない超過激な軍事パフォーマンス的行動を日本はとったのだ。政府自衛隊だけではない、マスコミやマスコミに露出する一般市民も「北朝鮮のロケットが日本に飛んでくるかもしれない、超危険な代物だ」という論調だった。 どう考えれば「北朝鮮のミサイルが日本を狙って飛んでくるかもしれない」なんていう主旨の発言が、極普通の国民から発せられるんだろうか。 外国人が、日本のこの光景を見たのなら、日本と北朝鮮は戦争していると勘違いしても可笑しくないね。 北朝鮮に関しては日本は上から下まで「平和憲法なんて関係ない!」状態なのだ。 平和憲法の是非はこの際おいておいても、今回の日本の中での思考パターンは冷静さのひとかけらもなく、ヒステリックすぎるのだ。 今の日本では北朝鮮のロケット(ミサイルでも同じだ)に関する報道は「味噌もクソも一緒くた」状態だ。極普通に考える力がまったく欠けた「超躁状態」なのだ。 こんな異常な思考状態をいつまでも続けてはいけんぞな。
今年の春は全国的に冷え込んでなかなか春めいた陽気がやってこなかった。そのせいかサクラの開花時期も全国的に遅かったが、いざ咲き出したら陽気も一気に春になった。きょうの関東は半そででオーライというような陽気だった。 そうですな、春にサクラが咲くのではなく、サクラが春を呼び込むですな。 今年のついていえばその通りでした。 今年の桜は例年になく、付き合いがいい。 開花時期は遅かったが、その分以上に結構な間咲いてくれている。 年によってはあっという間に散ってしまうこともあったが、今年についていえば、なかなかの付き合いぶりです。 これは今月5日のサクラ。 場所は自宅そばの程久保川遊歩道(日野第八小学校脇) まぁ、1分咲きっていうところか。 ![]() こちらは今日12日の同じ場所 ![]() 満開です。 そして散り始めた。 遊歩道脇にて。 ![]() ついでにこちらは多摩有数のサクラ並木 4月10日の国立市の一ツ橋大学に面したサクラ並木。 ちなみにここは、うちのかみさんも9日、友人たちと行き、娘は10日に友人たちと夜ザクラしてきた。 ![]() ![]()
これはやっぱりねこですね。 さすがねこ殿です。 『らばQ』の数ある画像のなかでも、ねこ殿画像としては、これは↓必見です。 らばQ『猫で「名画」を真似してみる』 いずれの作品でもねこ殿はものおじせず、堂々とモデルを務めている。 オリジナル作品にひけをとっていない画像が数多くある。 (まぁ、明らかに負けているのもあるけど) 悔しいけど、いぬ君では逆立ちしても同じようには真似が出来ない。 掲載されている21作品のうち、特に唸ったのはNO4,NO7,NO9,NO11,NO21。 そして特選はNO9。 全体にモデルの目がいいですね。絵に動きがあります。 ネット世界の露出度では猫が犬を圧倒していることは大いに頷けるます。 ちなみにネット世界でのにゃん君、ワン君の露出度数については以前調べたことがある。↓ ネットには猫好きが多い 無断勝手ながら『猫で「名画」を真似してみる』の一枚を、ここに貼ってみる。 ![]()
我が家からチャリンコで多摩川を渡りほぼ真っ直ぐ北上(所要時間約1時間弱)した所に位置する中央線は国分寺駅そばにある都立殿ヶ谷戸庭園内で見かけ光景。 園内の通路にかかる枝でハシブトカラスがなにやら啄んでいた。 こちらが近づいても逃げるわけでなく、どこでもカラスは図太い。 我が家のある日野は浅川沿いの河原、畑、雑木林には大抵はカラスがたむろしている。 カラスは雀以上に見慣れた鳥で、ここ多摩だけでなく、都心部でも極普通に見かける鳥だ。 この枝に止まっているハシブトカラスは、ゴミ袋から失敬した餌でなく、どうやらドバトの類をついばんでいる様子。ドバトを襲ったのか死骸をみつけたのか、そこらあたりは判らないが、まじかに見上げると結構と生々しい鳥の死骸をくわえている。 ![]() ![]() 2,3年前、都内目黒の住宅街で電信柱上に設置されている機器にあった雀の巣から雀の幼鳥を執拗に狙うカラスを見かけたことがあったが、ウィキペディアの『ハシブトカラス』によれば、ハシブトカラスは肉食性が強く、都市部では、同じ鳥類であるドバトを捕食する場面も稀に確認されるとのこと。 ちなみに寿命は飼育下では約20年、野生下では約10年だそうだ。 東京で一番見かける野鳥はカラス。 東京都はカラスの駆除を進めており、下図のように都内のカラスの生息数は平成13年は約36千羽強が平成21年では18千羽となっているとのことだ。 ![]() 詳しくは カラス対策の状況をお知らせします 東京都
ここ浅川は新井橋上を走る多摩モノレール。 画面の電車?は多摩センター行き。 ![]() 多摩モノレールは正式には多摩都市モノレール線というそうだ。 多摩をほぼ南北に結ぶ交通手段として2000年1月に南は多摩センター(多摩市)から北は上北台(東大和市)間16キロが開通した。 計画としては上北台から北は瑞穂町まで、多摩センターから南は町田まで延びる予定だが、実施段階まで至っていない。 東京23区の西側、所謂多摩地域は山手線ターミナルの渋谷、新宿、池袋からはJR中央線や私鉄各線が西に走っているが、多摩地域の南北間をむすぶ交通手段はJR武蔵野線以外はこれという鉄道手段がない。 例えばである、我が家のある日野市京王線沿線の住民にとって30数キロ先の新宿に出るのに比較して7,8キロ北にある立川に出かけるのに多摩モノレールが通るまでは渋滞だらけの道を行くバス便しかなかった。南は多摩センターに行く場合も同じである。 モノレールが開通するまでは、奥多摩ハイキングに行く際には混雑する道路をバスに乗って立川まで行くしかなかったのだ。 今はモノレールが通っているおかげで、立川まで出かけるのに時間的にはかなり楽になった。 (まぁ、そう頻繁に立川には行かなけどね)
というにはいささか誇大広告過ぎるかもしれぬ。 ここ日野は我が家のすぐ傍を流れる程久保川の小さな河原草むらにたむろするネコ。 程久保川は多摩動物園あたりを水源とし、そこから2,3キロ流れては浅川に流れ込む、両側をコンクリート壁で覆われた典型的な都市型中小河川。 ここではノラ猫はよく見かけるが、この黒ねこは画像では判らないが、ちゃんと首輪をつけていたので、ノラではない(と思う) ウンチで河原に降りたのかと最初は思ったが、そうではなさそうだった。 ジッと川面を見つめていた。川面にはカルガモが泳ぎ、川には大きなコイが泳いでいる。 ”狩り”の最中? それには今一つ集中力が欠けていたような気がする。 こちらが川岸から眺めていたら、川面にむけていた視線をこちらに向けてきた。 やっと暖かくなってきた4月の風をうけていたのかもしれぬ。 ![]() ![]()
ここ多摩・日野では午後9時前に大荒れ天気による強風と雨は収まってきた。 ときより強い風の音が聞こえるが、一時に比べると随分とおとなしくなった。 昨夜テレビでは、気象庁から<今日3日に日本海を発達した低気圧が横切り、東日本を中心に広い範囲にわたって台風並みの強風をもたらすので無理な外出は控えてください>という主旨の異例の会見があった。 ここ多摩では午前中は曇天。午後からは予報通り、雨交じりの風が次第に強くなり、夕刻からは文字通りの台風並みの強風と強い雨がやってきた。 『NHKNEWS WEBニュース』 の『関東~北日本 暴風高波に警戒 4月3日 19時4分』によると『午後6時半ごろには、東京・八王子市で38.9メートルの最大瞬間風速を観測したほか、午後6時ごろには、石川県羽咋市で33.7メートル、千葉市で33.1メートル、東京の都心で29.6メートルの最大瞬間風速を観測し、(中略)最大風速は、新潟県で28メートル、関東と東北、それに北海道で25メートル、北陸で22メートル、西日本の各地と東海で20メートルと予想され、西日本から北日本の海上では25メートルから30メートルと予想されています。』とのことだ。 今日夕方の強風時にはオンボロ我が家はガタガタと揺れかかったよ。 今回の日本海経由の発達した低気圧は”台風”並みの強風をもたらし、日本各地に大きな爪痕を残しているが、低気圧であって”台風”とは呼ばない。 気象庁によれば次の2点を満たすものを『台風』と呼ぶとのことだ。 (1)北西太平洋(赤道より北で東経180度より西の領域)または南シナ海で発生する熱帯低 気圧 (2)最大風速(10分間平均)がおよそ17メートル/s以上。 今回の低気圧がもたらした強風は関東だけでも最大風速は17メートルを優に超える25メートルだから、並みの台風以上の強さだ。
ここ多摩では、今夜は晴れましたね。 一番下の木星は薄い雲にわずかに隠れることもあるが、縦に並んだ金星、月、木星はよく見えました。 それにしても木星の小さいこと! 今日19時28分西の空 ![]() 金星の下、木星の上、ちょうど月が出ているあたりに、 目には見えないけど地球の太陽をまわる軌道があるんだ。 明日か、あさってあたりには、今宵の月の出ているあたりを我が地球は通過しているはずだ。 19時48分 木星が消えそうだ! ![]()
あさって26日夜、西の空では三日月を真ん中において上に金星、下に木星が縦に一直線に並ぶという光景がみられるそうだ。 詳しい情報はここ↓ AstroArts星空ガイド 木星と金星と地球はこんな感じで並ぶんだ。 このスケールだと月は地球に近すぎて描けない。 ![]() ちなみにこの時の 地球と月の距離は384,400キロ(約38万キロ) これに対して 地球と金星の距離は150,000,000キロ(1.5億キロ) 地球と木星の距離は900,000,000キロ(9億キロ)で、地球・金星間は地球・月間距離の390倍、地球・木星間はざっと2340倍となる。 ![]() 上のふたつの画像は、国立天文台提供の天体ソフト「Mitaka」から作成 また、この画像では目印のため地球、月、金星、木星を大きくしてある。 ここ日野のあさっての天気予報は曇り時々晴れ。さてさて夜は晴れてくれるかしら。
1年近く前の毎日新聞の記事だが、津波来襲時の宮城県石巻市立大川小学校の生々しい様子を伝えている記事があった。 記事は以下↓ 「児童、泣き叫び嘔吐 学校最多の犠牲者、石巻市立大川小証言」3・11 アーカイブ(毎日新聞 2011年4月19日) 勝手ながら、ここに上記記事の全文を無断掲載する。 **************************************************** <証言3・11:東日本大震災 児童、泣き叫び嘔吐 学校最多の犠牲者、石巻市立大川小> 全校児童108人中死者64人、行方不明10人と、学校では東日本大震災最多の犠牲者が出た宮城県石巻市立大川小学校。追波湾(おっぱわん)から同市長面(ながつら)地区に上陸した津波は、湾奥部の北上川河口から約4キロにある大川小の2階建て校舎、そして校庭から避難し始めた子どもたちと先生の列をのんだ。住民や関係者の証言から、激しい揺れにパニックに陥った学校の惨劇が浮かび上がる。【百武信幸、堀江拓哉、遠藤拓】 ◇校舎のんだ津波「裏山に階段あれば…」 ■その時 「ありがとうって伝えたくて」。3月11日午後、2階の4年生の教室に、育ててくれた父母への感謝の気持ちを込めた児童の歌声が響いていた。10歳を祝う「2分の1成人式」の記念DVD用に、担任の佐々木芳樹先生(27)が録音していた。武山詩織さん(10)は振り返る。「(歌の)2番にいかないくらいだったかな」。激しい揺れに歌声が悲鳴に変わった。校内は停電。机の下に入った子どもたちは先生の指示で校庭の真ん中に集まった。 先生たちは児童を座らせ、点呼を取った。近所の人たちも避難してきた。当日、娘の卒業式で市外にいた柏葉照幸校長(57)は「この時、恐怖と混乱から泣き叫んだり、嘔吐(おうと)したりする子どももいた」と後日、報告を受けた。学校は、混乱していた。 自宅から車で詩織さんを迎えに来た母久美さん(38)は学校到着を午後3時25分ごろと記憶する。「名簿を手に、迎えに来た保護者や避難住民に応対する先生たちもいた」。詩織さんを車に乗せ、アクセルを踏んだ。「津波はここまで来ない」と思いつつも、北上川より5メートルほど高い堤防近くの新北上大橋に向かい、さらに標高のある南を目指した。 避難を呼びかけるため広報車で河口に向かった市職員、武山泰徳さん(53)は3時20分ごろ、学校から約1キロ海側の墓地近くにいた。「沿岸の松林の奥に水しぶきが見えた。津波だと思った」。Uターンして拡声機で繰り返した。「津波です。避難して」 ■黒い波 多数の児童と教諭が津波の犠牲となった大川小(中央右)。左は裏山。奥に新北上大橋と北上川をのぞむ=宮城県石巻市で2011年4月17日、本社ヘリから小林努撮影 大川小がある釜谷(かまや)地区の東隣、長面地区の農業、三條昭夫さん(75)は、妻喜久子さん(72)と車で釜谷地区に向かった。「80キロほど出ていたと思う。後ろから浮世絵に描かれた波を黒く塗ったような波が、縦にぐるぐる回転しながら迫ってきた。大川小前で校庭にいる子どもたちの姿が横目に見えた」 学校では、体育館や校舎2階に避難できるか校内を見回った先生もいたが、避難住民とともに新北上大橋のたもとにある交差点に向かうことになった。その距離約200メートル。高さは堤防や校舎の屋根とほぼ同じだ。校庭から列になって釜谷交流会館の脇を通り、裏山沿いの裏道を歩いた。 同じ長面地区の永沼輝昭さん(70)と妻睦子さん(66)は6年の孫遼太君(12)、4年の和泉(いずみ)君(10)兄弟を迎えに車2台で学校に着いた。永沼さんは車外に出て兄弟を乗せた睦子さんと避難先を相談していた。校庭から先生と児童の列が出てきた。 永沼さんは「列が裏道に進み出した時『バリバリ』という音とともに黒い水しぶきが来た」。睦子さんと兄弟を見失い、子どもたちに叫んだ。「山さ上がれ」。裏山の斜面に飛びついた。雪で滑り、波にのまれたが、押されるように斜面に上がった。3メートルほど先の水面に女の子がいた。そばの竹を左脇に抱えるようにして腕を伸ばし、手を握った。 遼太君と和泉君は1週間後、遺体で見つかった。永沼さんは「近くにいたら、なんぼでも助けたんだけどな」。睦子さんは、見つかっていない。 ■判断 列の後方に、5年生の男の子がいた。津波の翌日、男の子を保護した顔見知りの男性によると、男の子は震災から1カ月が過ぎたころ、当時の状況をこう明かした。 すごい音がして、津波が前から来た。腰を抜かし、その場に座り込んだ子もいた。自分で判断して、裏山に逃げた。竹林で他の男の子2人と大人十数人と一緒になり、一晩過ごした。大人が持っていたライターで火をおこした。「眠れば死ぬんだからな」と言われ、一睡もしなかった--。 当時大川小にいた先生10人と事務員1人のうち、佐々木先生を含む9人が死亡し、1人は行方不明のままだ。助かったのは裏山を駆け上がった40代の男性教諭1人。この教諭は山を登る際、倒木で負傷しながら近くの男児1人を押し上げるように助けたという。 ■その後 なぜすぐに裏山に避難しなかったのか--。大川小学校の惨劇への疑問は、この一点に集約される。 石巻市は、大川小学校への津波到達を想定していなかった。市の「防災ガイド・ハザードマップ」は、同小を避難所として「利用可」としている。柏葉校長は「堤防を越える津波が来たらもたないので、山に避難場所をつくろうと職員で話はしていた。裏山は泥炭地でつるつる足が滑るので、階段をつくれるといいなと話していたが、そのまま震災になった」と明かす。 校舎に残る三つの時計は、いずれも3時37分を指し止まっている。地震から津波到達まで、恐らく40~50分あった。9日の保護者への説明会では、校庭で点呼を取るなどした対応に「なんですぐに逃げろって言わなかったのか」と非難の声も出た。だが一方「108人誰も欠けないように点呼し、先生はよくやってくれた。誰が悪いと思ったことはない」と話す保護者もいる。 狩野あけみさん(42)は避難所から学校周辺に通い、今も毎日、行方不明の三姉妹の末っ子、6年生の愛さん(12)を捜す。「あの日、自転車で『行ってきます』って出かけたままで。私はずっと待ってる。もう帰ってきてもいいころだよ」 ******************************************************
とうとう危惧していたことが始まった。 今日21日、環境省は国立・国定公園内での地熱発電建設の掘削基準緩和との報道。 これまでは規制地域外から斜めに掘るやり方しか認めていなかったが(これ自体も問題と思う)、今回の規制緩和で公園内での条件付きの掘削が可能になった。 今回の地熱発電設置条件緩和策は住民の同意や環境への配慮が必要にはなっているが、候補地に挙げられている十和田湖周辺や北海道大雪山、福島磐梯周辺、宮城栗駒等の日本の自然(景観を含めて)を代表する場所に天然森や山を崩して道路が敷かれ、コンクリートで固められた地熱発電所が忽然と現われてくるのだ。 今回の地熱発電設置基準緩和によって、本来人間が手をつけてはいけない日本の後世に残すべきすぐれた自然景観が崩され、そこに生きる野生の動植物の生息条件も悪化していく。 地熱発電:国立・国定公園内での設置基準緩和…環境省(毎日新聞 2012年3月21日 21時17分)によれば、『規制緩和の理由について、環境省は「エネルギー供給状況の変化から、地熱資源利用に道を開くことを決断せざるを得なかった」と説明した。』 福島原発事故に伴う各地の原子力発電所の稼働停止に伴う電力不足対応の一環としての地熱発電設置条件緩和は反対である。 50年先、100年先まで現在の日本の自然と自然景観は国民全体で守っていかなければならない。 未来の子供たちに残しておかなければならない。 奥深い自然(+環境)はそこを訪れる登山者や観光客だけのものではない。そこを訪れることもない人を含めてかけがえのない日本全体の財産であり、未来の日本人の財産だ。
今日、我が家の家庭菜園でジャガイモの種イモの植え付けをした。 ジャガイモの植え付けは、ここ多摩は日野あたりではお彼岸の頃だ。 植えた後は途中で畝の土寄せを2回程度し、植えた種イモから出てくる何本かの芽を間引きするくらいで、その他は特に手入れをする必要もなく他の野菜と比較しても育てやすい。栽培期間も3月下旬植え付けて収穫は6月下旬頃と3ヶ月程度と短く、ジャガイモは「孝行野菜」なのだ。 我が家の例だと2010年は3月19日植え付けて6月19日に収穫、去年2011年は3月14日植え付けて収穫は6月19日。 毎年3キロ植え付けている。ちなみに去年の収穫量は35キロ~40キロ。 今年植える畝 ここは白菜が植わっていた場所 白菜の収穫は2月中旬で終わり。 その隣りの画面右隣にはチビたホウレンソウ畑。もうこれはこれで終わりですな。 ジャガイモを植える準備として、ここには3週間前に土壌中和のため石灰を撒き、1週間前には元肥として腐葉土、牛フン、鶏フン、それに去年の貰ものの枯葉、稈と刈り取った雑草、それに我が家の生ゴミをごちゃ混ぜにした自家製たい肥(これはミミズも多く出来栄えよしのたい肥なり)を入れてある。 本来は4週間前に石灰を撒き、2週間前にたい肥をいれる段取りだが、天候とかこちらの都合で予定通りにはいかないのだ。 ![]() ジャガイモの品種は男爵系。自宅そばのホームセンターで購入。種イモ1個を芽が出ているところ2,3個に切り分けて、その後に腐敗菌防止のため切り口に草木灰を擦りつけておく。 ![]() 深さは地中10センチ弱くらいになるように、間隔は30センチ程度で植え付けていく。 ![]() あとは、土をかぶせて終わり。 ![]() 春野菜はこのジャガイモで終わり。 後は4月にはいってから夏野菜のための土作り。
今日17日 東北大震災の津波で全校児童の7割の74人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市立大川小学校の卒業式が市内の別の小学校で行われた。 以下はGoogleの大川小学校卒業式を報じる【ニュース】のヘッドライン 『大川小で卒業式=犠牲児童遺族も出席-宮城・石巻』 時事ドットコム(2012/03/17-12:57) 『大川小、みんなで卒業だよ 犠牲の6人も巣立ち』 朝日新聞 2012年3月17日15時35分 『【震災】大川小で卒業式 死亡児童の保護者も』 テレ朝 news (03/17 11:29) 『悲しみの門出 大川小、遺族にも卒業証書』 東京新聞 2012年3月17日 夕刊 東京新聞記事によると、この日の卒業式を迎えたのは当時5年生だった児童15人のうち7人で、残りの児童のうち2人は転校、6人は津波で死亡。犠牲になった児童の遺族も式に参列し、遺族が卒業証書を受け取ったとのこと。 ******2012年3月19日 追記********************* 大川小学校地元の宮城県・河北新報のネット配信ニュース全文を掲載する (2012年03月18日日曜日) -------------------------------------------------------------- 石巻・大川小で卒業式 7人巣立つ 東日本大震災で児童・教職員84人が死亡、行方不明となった宮城県石巻市大川小学校は17日、間借りしている飯野川一小で卒業式を開いた。式は非公開で、保護者らが児童7人の門出を祝った。 昨年の震災当時5年生だった15人のうち、6人が亡くなり、震災後に2人が転校した。 卒業生7人のうち5人は転居先などから通える中学に進学するため、地元の大川中に進むのは2人だけ。 大川小は海岸から約4キロの距離にあり、地震発生から約50分後、津波に襲われた。当時の在籍児童108人のうち、70人が死亡、4人が行方不明となり、教職員13人のうち、不在だった校長ら3人を除く9人が死亡、1人が行方不明になった。 ---------------------------------------------------------------
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